129. 八重垣      野村正峰 作曲

 八重垣というと、歴史上の人物、戦国の世の悲恋の武将、武田勝頼の妻、
 八重垣姫の哀史を想起する向きもありそうですが、
 この曲の作曲動機は日本史をずっと遡って、
 神話時代の物語『古事記』に出典を求めたものです。
             やくも立つ 出雲八重垣 妻籠みに   
       八重垣作る その八重垣を
 古事記上巻には、須佐之男の尊が出雲を平定し、
 須賀の宮という宮殿を造営された時、雲が盛んに立ちのぼって瑞兆を
 あらわしたのを祝って、この歌がよまれ、日本最古の歌として伝えられています。
 古代には、妻を迎えると新しく住居を築き、
 一族とともに歌舞の宴を催して祝ったのでしょう。
 この歌は貴人のよまれた歌というよりは、古代歌謡として自然発生的に
 祝宴の席で節をつけて歌い伝えられたものと考えていいようです。
 したがって、この曲は祝典曲として書かれたものであり、
 古典的な音階・演奏技法を基礎にしたうえで作曲された合奏曲であります。
 また八重垣の歌は、発想として使われていますが、歌曲ではありません。





 130. 八木節スケルツォ   江戸信吾 作曲

 この曲は日本の民謡の中でも、最も"ノリ"の良い曲の一つである
 八木節のメロディをモチーフに、箏二面と17絃と尺八の四重奏曲にまとめたもの。
 スケルツォとは軽快でテンポのいい詣謔曲のことで、全曲にわたって、
 あの八木節の メロディが顔をのぞかせ、"弾き手"よりも"聞き手"を意識して作曲した。
 出だしの尺八のソロは、のどかな田舎の情景を表現し、
 しだいに村祭りのような賑わいを見せてから、
 八木節のメロディが様々に変化していく曲となっている。





 130-1. 大和ボサノヴァ   森川寛史 作曲

 作曲者の森川寛史氏はシンガーソングライターとして活躍している方で洋楽・
 邦楽を問わず積極的に音楽活動をされています。
 ボサノヴァはサンバにジャズの要素を加え、都会的に洗練された音楽で
 1950年代末、ブラジルで生まれた音楽です。
 そんな軽やかなリズムを箏・三絃・17絃・尺八で演奏いたします。
 洋楽とは違う日本のボサノヴァをお楽しみください。

 〔編成〕:箏T・箏U・十七絃・尺八






 131.	八 島(屋 島)   藤尾匂当 作曲

 [歌詞]
 釣りのいとまも波の上、霞み渡りて沖行くや,海士の小舟のほのぼのと、
 見えてぞ残る夕暮れに、浦風さえも長閑にて、しかも今宵は照りもせず、
 曇りもやらぬ春の夜の、朧月夜にしくものはなし。
 西行法師は嘆けとて、月やは物を思わする、闇は忍ぶによかよか、
 うななぜ出たぞ、来そ来そ曇れ、また修羅道のとき鬨の声、
 矢叫びの音振動して、(手事)今日の修羅のかたき敵は誰そ、
 何、能登守範経とや、あら、ものものしや、 手並みは知りぬ、
 思いぞ出づる壇ノ浦の、そのふないくさ船軍 今は早や、
 えんぶ閻浮にかえるいきしに生死の、海山一同に振動して、
 舟よりは鬨の声、くが陸には波の楯、月に白むは剣の光り、
 潮に映るは兜の星の影、水や空、空、行くもまた雲の波、
 打ち合い刺し違ふる船軍の掛引、浮き沈むとせし程に、
 春の夜の波より明けて、敵と見えしは、群いる鴎、鬨の声と聞こえしは、
 浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝、嵐とぞなりにける。





 131−1 やん衆   廣岡倭山 作曲

  やん衆とは北海道でニシン漁などに雇われ働く男たちのことです。
 北海道では春の彼岸過ぎ頃になると出稼ぎの人たちが
 ぞくぞくと東北からやって来て、浜のそばの番屋は、
 最盛期にはやん衆たちでいっぱいになります。
 冬の間、吹き荒ぶ寒風と日本海の荒波のそばで、
 寒くかじかんでふるえている漁村も、
 この時ばかりは別世界のように活気づきます。
 漁期は三月の中ごろから四月の終わりごろまで、
 五月の声を聞くと後片付けもすべて終わって、出稼ぎの人たちは
 懐もあたたかかく、節句の土産を買いこんで故郷に帰っていったそうです。
 全体を通して明るく歯切れのいいリズムが人々の喜びを表現しています。

 〔編成〕1・2・筝、17絃、尺八3パート
 〔演奏者の感想〕スタッカットを使うことで楽しく弾き易い曲です。





 132. 遊  春         国澤秀一 作曲

 冬の厳しい寒さから漸く春にむかい、人々の心も次第に弾んでゆく 
 スクイ撥を多用しながら、その気持ちを三絃の糸にのせてみました。





 132-1. 夕映えの街 〜出会い〜   菊重精峰 作曲

 この曲は『星空への想い』『月の灯りの下で』に続くバラード第三弾と
 いうことで、調弦を『星空への想い』とほぼ同じにして作曲されました。
 箏による澄んだ前奏がベースラインの参加を促し、そこへ17絃の暖かく
 重いフレーズが時を刻むが如く参加し始める。あとは、美しく奏でる尺八の
 メロディーを待つのみ…。そして尺八の参加。
 数年ぶりに出会った気の知れた仲間同士がBGMの流れる中、酒を
 酌み交わしながら、昔を語り、今を語り、そして未来を語り合う。
 そんな夕刻のひと時を尺八・箏・17絃による三重奏にまとめられています。
 サブタイトルの『〜出会い〜』は、人と人のつながりは、色んな
 プロセツを経て、今日があるんだという、人の出会いの不思議さへの
 想いを込めてつけられました。

 〔編成〕:箏・十七絃・尺八





 133. 雪      峯崎検校 作曲

 天明・寛政のころ、大阪の峯崎検校より作曲されました。作唄は流石庵羽積です。
 この曲は地歌の代表作として知られており、雪の合いの手は色々な曲に
 使われるほど好まれています。
 唄の内容は若いみそらで想う男に捨てられた芸者が世を悲観し、
 浮き世をすてて尼になった心境を唄ったもので、
 そのやるせない思いを無情の諦めとして美しく描かれており、
 しんみりとした美しい曲であります。





133-1. 雪 笛   柳内調風作曲

白一色の銀世界  ふりしきる雪に耳をすませば  聞こえるは  雪のきしみか  春まつ叫び

作曲者は雪が産み出す色んな音を尺八の持つ音色で表し、17絃の低音と箏の繊細な動きを
絡ませることで自然の偉大さを感じさせています。
自然の作る色、風による木々の揺れる音。人には作れない音を自然は産み出します。





134-1.    雪舞   水川寿也作曲

雪の結晶には、実に様々な形があります。氷が成長する時の
わずかな温度や風の影響で様々な形に変化するそうです。
そういったミクロの視線から雪を眺めると、不思議な気分に
なってきます。小さな様々な結晶が集まって広い大地を覆い
隠すのです。吹雪となって吹き付けるのです。
 風に舞う雪に皆様は何を思いますか?
17絃の問いかけに答えるように始まる導入部から、やがて17絃が
奏でる周期的な流れの上で、尺八と筝がアドリブをしているかの
ように自由に歌い始めます。

[編成] 筝・17絃・尺八
[演奏者の感想] 現代風のリズムで3つのパートが絡み合えば楽しい曲です。





134-2. 雪 舞    砂崎知子作曲

作曲者には、自然現象の中で、雨や風に比べると雪が一番創作として魅力がある
そうです。雪には細雪・粉雪・牡丹雪・餅ゆき・べた雪・流れ雪など、その形状
にそれぞれの名前がついています。また古来より雪女の伝説など物語も豊富です。
降り積もった時の白一面の美しさは幻想的な 世界へといざないますが、その反面、
猛吹雪となって人を死に至らしめる恐ろしさも持っています。ほんの少しの熱で消
えてしまう儚さと、吹雪の時の威圧感、相対する現象を箏・尺八三絃で表しています。





 135. 雪ものがたり   沢井忠夫 作曲

 子供の為の舞踏組曲として書かれた物です。 情景・踊り・子守歌・夢・吹雪。
 空から地上に落ちるまでの雪の色々な動きを、音の世界で表現しています。
 ぼたん雪のふわふわした動き、吹雪の時の突き刺さるような激しさ、
 山も里も家も白の中に包み込む雪。私達は雪の中に風情を見ています。
 舞い落ちて来る雪を懐かしく見上げています。





135-1.  夢海道   石垣征山作曲

日本は四方を海に囲まれた島国です。現在は陸路・空路とも、その交通 
の発達には目覚しいものがあります。その昔これらの交通手段がまだ
未発達の頃、船という手段を用いて多くの人々が『新しい何か』を
求めて海へと繰り出しました。その試みの積み重ねが『海の道』を形作り
人や物の交流と共に、文化の交流も大いに進めました。その人間の
夢の軌跡を『夢海道』と名づけ、尺八と17絃の二重奏で表現しています。





 136. 宵待草の主題による幻想曲    森岡 章 作曲

 この曲は流行歌の『宵待草』を基にしています。
 まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ …… 
 メロディも歌詞もいかにもセンチメンタルなこの曲は、
 美人画で一世を風靡した竹久夢二が、大正2年に処女詩集の絵入り
 小唄集「どんたく」で発表したものです。
 その詩集の中の「宵待草」を読んで感激した宮内省雅楽部のヴァイオリニストだった
 多忠亮(おおのただすけ1895〜1929)が、この詩に曲をつけ、流行歌として唄われました。
 宵待草とは、夕方開花するので、宵待草とも月見草とも呼ばれる夏の花です。
 このやるせない感傷を歌った「宵待草」は、竹久夢二の美人画と重なり合って、
 今も大正時代のロマンを感じさせます。





136-01. 尺八と打楽器による 宵宮から本宮へ   長沢勝俊作曲

 宵宮とは祭りの前の前日に行う前夜祭のことです。
 本宮とはその翌日の正式に行う祭礼のことをいいます。
 日本の祭りにはこの二つが一体となり、
 さまざまな行事を伴って行くものが沢山あります。
 我々の祖先が長い時間をかけて伝えてきたこの文化遺産は、
 いまも我々に多くのものを語りかけてきます。
 この曲は尺八の合奏と打楽器により、祭りへのあつい想いを描いたものです。





 136−1. よさこいスケルツォ  江戸信吾 作曲

 この曲は民謡"よさこい節"のメロディをモチーフに、筝二面と十七弦、
 尺八の四重奏曲にしたものです。
 前半は原曲のメロディを出来るだけ生かしつつ、十七弦で変化を付け、
 後半はわりと自由に展開しています。





136-2.   吉 野 静   筑紫 歌都子  作曲

 吉野静とは悲劇の英雄、源の義経が生涯を通じて愛した女性です。
静は京都北部の小さな漁村・網野から母と共に上京し、漢詩や和歌に
節をつけて歌う朗詠に舞をあわせる白拍子を生業としていました。
そこで義経と出会い深く愛してしまうことで波乱の人生へと巻き込まれていきました。
     
 しずやしず しずのおだまき 繰り返し
              むかしを今に なすよしもがな

 この歌は静御前が捕らわれて鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮の社頭(しゃとう)で、
頼朝以下が見る中、白拍子の舞を舞ったときの歌です。
 義経が追放になったあと、網野に戻り晩年を過ごしたといわれていますが、
長岡市の高徳寺には、義経を追いかけていく道中で病に倒れ、そこで亡く
なった静御前の墓が建立されています。 また、生誕地の網野町には日本海を
見下ろすように静神社があります。

〔編成〕:箏T・箏U・尺八




136-3. 四つの民   松浦検校作曲

 この曲は18世紀初めに作られた京都の手事物で、松浦検校の代表作
『松浦の四つ物』と呼ばれる曲の一つです。箏は八重崎検校の手付けです。
歌詞は、士農工商のそれぞれに携わって暮らす民の姿を、春から冬へと変わる
季節に配して描写しています。

まずは、鎧に桜が降り、弓は袋の中にあるという平和な時代の武士が歌われます。
次は、田畑を耕し、月を楽しみながら薪を担いで働く農民の姿です。
そして神社宮殿はもとより庶民の家も建てる大工、機織りや染織にいそしむ職人が紹介されます。
最後は、姿と言葉は賎しくとも、心優しい商人を歌います。

歌の旋律は穏やかな気分に満ちています。その合間に、三絃と箏の間奏が効果的に入ります。
手事は、マクラ初段・マクラ後段・手事・チラシという構成です。
華やかな掛け合い、転調を重ねる印象的な旋律が面白く、変化に富んだ緩急で曲を盛り上げています。

この解説は邦楽ジャーナル所載、野川美穂子のすぐに役立つ箏曲地歌アナウンスより引用させていただきました。





 137. よろこびのうた   宮田耕八郎 作曲

 日本人の心の糧として現在もなお生き続けている民族芸能を、
 舞台で上演している荒馬座が1995年に公演する「いのち輝く季」の為の
 音楽として作曲しました。この演目は主として高校生を対象に公演するとのことで、
 活力のある音楽をと思い、稔りの 稔りの明日に願いをこめて進み行く
 進み行く 道けわしくも……」と、
 手拍子を打って威勢良くうたう歌をもとにして、この曲を作りました。
 収穫への期待と,天地の恵みへの感謝、
 そして力を合わせて働く喜びを明るく歌います。


 現代曲は各々の作曲者の解説から引用させて頂きました。
 また、古曲は「山田・生田流 筝唄全解 今井道郎著 武蔵野書院刊」を
 参考にさせて頂きました。