72. 大 河     野村正峰 作曲

 満々と水を湛え 悠久の時を流れる大河は 時として詩情を感じる 
 しかし また時として その抗すべくもない 大自然の荒々しい力を持った激流に
 人生の 流転の姿を見る  1976年10月 作曲





 72-01. 太 鼓   山本邦山作曲

  太鼓といえば日本の風物でもあり、祭礼、雅楽の儀式
 その他に色々な目立った働きをしています。
 序にでてくる祭り囃子的リズムが、曲全体のムードを作りあげます。
 和太鼓の独奏により邦楽太鼓の基本型が示され、曲中では
 箏、17絃、三絃、尺八に混じり、飛び石のように現れる打楽器。
 曲は「阿波踊り」のリズムへと変化し、次第にエスカレートして
 即興的な打楽器の乱れ打ちとなります。





 72−1.  尺八三重奏 第四風動  杵屋正邦 作曲

 杵屋正邦は大正3年生まれで、戦後は創作活動を中心に活動された邦楽界の
 代表的な作曲家です。この「第四風動」は尺八の三重奏のための作品で、
 昭和56年に作曲されました。
 ちなみに「風動」は4曲あり、この曲は4番目に作曲されたものです。
 日本人の仏教思想を背景に発達した尺八音楽を基調に、現代的な音楽型式に組み立て
 られた作品で、各パートに比較的独奏部分が多いのがこの曲の特徴でしょうか。
 安らぎの心、ときには揺らぎ乱れる心など、様々な心のさまを、風の動きに
 なぞらえて作曲されています。





 72-2. 第五風動  杵屋正邦 作曲

 風が吹いて・・・風がふいて、また風が吹いて、前の風が後の風に吹き飛ばされ、
 混じり合って・・・また風になる。
 子供が大人になって、大人が年寄りになって、また子供にかえる。
 ぐるぐる廻って、ぐるぐる廻って、更にぐるぐる廻って、終わりのないことを輪廻
 というようです。
 第五風動は未来の展望につながる、竹の響です。

 〔編成〕:尺八T・尺八U・尺八V





72-3. 竹田幻想子守唄    佐々木愛美 編作曲

作曲者の大好きな中国の古箏奏者の奏でる曲の中に『竹田の子守唄』があったそうです。
なんともせつなく、哀愁を帯びたこの曲の旋律を、17絃で演奏することはできないか
と…生まれて初めて編曲に取り組まれました。記念すべき編曲の処女作品です。

曲が作られた時は、17絃3パートによる編成でしたが、平成23年に、より多くの方がたに
演奏していただけるようにと箏2パート・17絃1パートに書き換えられました。
本日は新しく生まれ変わった編成で演奏いたします。





 73. 竹と桐     北原篁山 作曲

 この曲は、曲名の対話「竹と桐」と云う言葉に象徴されるように尺八と筝の二重奏曲で、
 二つの楽器が互いに語り合い謳い合うと言う気持ちで作曲した。
 (二重奏として演奏する他に、多勢で合奏した場合は、幅広く豊かな音楽となり、
  二重奏とは異なったスケールの大きさが出ると思う。
  そのために楽譜に独奏と合奏部の別を決めている。)





 74. 旅 路      野村正峰 作曲

 人生を長い旅路と考えたとき、底には起伏はてしない多くの艱難辛苦が待ち受けています。
 この曲は人生の旅路の中の「放浪」「逡巡」「新しい門出」の三つの心を筝と尺八の
 二重奏にまとめたものです。





75. 竹紫絃明    菊重精峰 作曲

 名言に「山紫水明」という言葉があります。この名言を引用し
 “山”は尺八に“水”は筝・三絃に置換え、タイトルにしました。
 尺八は渓谷に響き渡り、筝・三絃は湖に波紋を浮かべる。
 三つの音が響き合い、調和し、大自然へと説けこんで行く。
 演奏時間 約12分30秒





75-01.   竹桐の賦     川崎絵都夫作曲

全三楽章からなる曲です。
第一楽章は流麗、第二楽章は切々と歌う、第三楽章は勇壮。
演奏時間は約20分かかるという本来は尺八3パート、
三弦3パート、箏3パート、17絃1パートからなる大合奏曲です。





75-0.    竹生島  菊岡検校作曲

近江の国、竹生島大明神の縁起と、弁財天の由来を道行き風に
仕立てたものと思われます。七福神中、唯一の女神である弁財天は、
もとはインド古代信仰の水の神サラスバティー神で、日本では音楽、
財宝、知恵の神として古くから信仰を集めていました。
竹生島の弁財天は、西国33ヶ所、第30番札所の宝厳寺本堂に
祀られています。秘仏は60年に一回ご開帳されますが、次回は
2037年だそうです。

[編成] 筝・三絃・尺八
[演奏者の感想] 唄が面白く、楽しい曲





 75−1.     千 鳥 転 生     水野利彦 作曲

 この作品は、吉沢検校作曲「千鳥の曲」の印象的なモチーフを素材にして、
 筝・十七絃・尺八の三重奏として、現代的にリメイクしたものです。
 吉沢検校は、筝組歌のなかに流れる「品格」と「形式美」を知的な観点と、
 優れた音楽的美意識から、見事に再生した幕末の天才といえます。
 とくに「千鳥の曲」は、「様式美」と「音楽美」とのバランスが絶妙であるという点で、
 きわだった作品ですが、この名曲を未熟ではありますが、私なりの感性で現代に
 甦らせてみようと試みたわけです。
 組歌的なシンプルで格調高い筝の音色感とフレーズの流れを、尺八のやわらかさ、
 十七絃の重厚さと対比させることによって、よりきわだたせ、また、そのモチーフを
 それらの楽器に歌わせることによって、現代的なニュアンスを持たせようとしました。
 全体的な構成としては、三つの楽器の混沌とした音のからみの中から「千鳥の曲」の
 印象的なモチーフの断面が多用な形で現れては消えて行くという幻想曲形式になっており、
 演奏としては、リズム感や大きなフレーズでの流動的な自由さと、本質的に変わらない
 古典的フレーズでの美意識との対比がうまく出来れば、おもしろいのではないかと思います。





 76. 千鳥の曲    吉沢検校 作曲

 この曲は名古屋吉沢検校作曲、古今組の内の、最も演奏されるものです。
 古今組とは春夏秋冬の4曲、初瀬川、唐衣、新雪月花と千鳥の曲です。
 これらの曲は、皆同じ調子にして古今集より歌詩を選んでいますので、
 古今組・古今調子と呼ばれています。
 この千鳥の曲は、磯部に立ちたる心地にて、前弾の処、豊かに波の静かに打ち寄せるが如く。
 手事に至れば千鳥の渚に飛び交う有様、また鳴く声の模様まで巧みに現したるなど邦楽中、
 稀なるものです。





 77. 千鳥変奏曲    森岡 章 作曲

 名古屋の吉沢検校作曲がした『千鳥の曲』を基に大勢で合奏が出来るように作られたものです。
 『千鳥の曲』は古今組の中の一つで、前弾きは波が 静かに打ち寄せる様子を表し、
 手事に至れば千鳥の渚に飛び交う様子や、 鳴く声の模様までを巧みに現したるなど、
 名曲として残っています。
 本来は尺八・箏のみで演奏されるものですが、高箏・17絃を加えることで
 華やかな曲想になっています。





77-1.   潮  流   菊重 精峰  作曲

 月と太陽の引力により生じる海水面の昇降現象を「潮汐(ちょうせき)」と呼び、
それによって生じる海水の流れのことを「潮流」というそうです。
 尺八のソロから書き始め、やがて静かに十七絃がメロディを奏で出した頃、
実はまだどういう展開を見せるのか、作曲者自身でも想像がついていなかったそうです。
ただ色んな流れのあるものに完成させたいと願い、まず一つの流れが完成しました。
この時いくつかのタイトルが名乗りを上げていましたが、ことごとく脳内から削除され、
この「潮流」という題名が浮上し、曲想が広がって行きました。大自然が生み出すはか
りしれない力は人に感動を与え、時には震撼させます。

尺八と十七絃という楽器が織りなす流れや、間により、人の心を動かす事が出来る
ならば・・・
いや、「きっと動く」「動いて欲しい」と願いつつ、違った二つの流れを一つ
(同じリズムと音程)にして、大流となって終結させました。

〔編成〕:十七絃・尺八





77-2.  津軽風土記   野村峰山作曲

「春は桜の弘前城、夏は緑の岩城山、秋は十和田の紅葉狩り、
冬は大鰐湯の香り」津軽民謡おはら節には、四季の豊かな自然が歌われています。
また、津軽出身の作家太宰治は、津軽各地を旅する自伝的小説「津軽」を著しています。
この曲は豊かな津軽の自然の印象をテーマに、
尺八の独奏部と合奏群のコンチェルトに意図した尺八合奏曲です。
爽やかな春の風に始まり、尺八合奏群が軽快なリズムのテーマを表し、
続いて津軽山唄、中間部には木遣りを思わせる旋律を経て、
ねぶた祭り囃子のメロディが津軽の風に乗って流れます。





 78. 月夜の舞            佐藤義久 作曲

 日もとっぷりと暮れ、東の空に十六夜の月が一人静かに浮かんでいます。
 白雲を従えながら、その純白の輝きは、秋も深まってきた夜空に、
 さえざえと照り渡っています。 もの音ひとつ無い静けさ……。
 しかし ふと耳を澄ますと どうでしょう、 遙か彼方から
 妙なる調べが聞こえて来るではありませんか。





 77−1.     月の灯かりの下で    菊重精峰 作曲

 ほのかに照る月の灯かりは、何処か物悲しく、センチメンタルな気持ちにさせられてしまう。
 そんな月の下で、在りし日の親や知人、愛する人との別れ、想えども届かぬ片思いの
 青春時代などを思い出すと、涙が込み上げてくる。
 幾多の出会いと別れは繰り返され、そしてみんな大人へと成長して行くものである。
 そんな気持ちをバラードの調べにのせ、物語(無言歌)は展開して行く。
                          
                            平成12年1月 作曲





 79. 天空の扉     吉崎克彦 作曲

 静かに静かに扉は開かれ、遠い宙からの伝言が聞こえてくる。
 未来への道はどこかに向かい、何処かへ続いていくのだろう。
 新しい世界からの静寂なる叫びに耳を傾け、その扉を開きたいと願ってやまない。





 80. 天 馬       吉崎克彦 作曲                                                 
 
 天馬とは作曲者自身のまったくの架空の存在であるが、覗いてみたい夢の世界でもある。
 広々とした草原を伸びやかに疾走する馬は、あたかも空を翔ぶ天馬を現実に見る思いがする。
 また歩を止めて静かに草を食べる姿は、牧歌的で穏やかな美しさに溢れている。
 それは馬の持つ美しく、しなやかな姿が、作曲者自身の天馬へのイメ−ジを
 膨らませて行くのかも知れない……





 81. 天竜川    川村泰山 作曲

 長野県の諏訪湖を源流とする天竜川は、中央アルプスと南アルプスに挟まれた
 伊那谷を貫く流れの早い川として知られている。
 長く厳しい信州の冬が終わり、雪解け水が静かに流れ始めると、人々は
 待ちこがれた春を心ゆくまで楽しむ。
 雨の季節になると山々から流れ落ちた水が天竜川に集まり次々に下流に向かって行く。
 晴れの一日。雄大なやまなみが目の前に広がる。天竜川を挟んで、
 両岸の山たちが叫びあっているようだ。





 82. 峠  花            山本邦山 作曲

 我々は常に何かに安らぎを求めている。旅先で新しい自然に触発される感情、
 その中にわずかな安らぎを求めることができるならばとの願いから、
 対象物をできるだけ小さな物、そして遠くにあるものとして『峠花』と題した。
 目に眩いほどの新緑や、一帯の紅葉に心を傾けることはさることながら、
 人知れず咲いている四季折々の名も知らぬ野花達にも大いに心を打たれる。
 つる状の茎を這うように伸ばし、群をなして咲いているもの、周りの草木の間から
 背伸びしているもの。また岩や崖下にしがみついているものそれもその姿は可憐であり、
 色鮮やかに誇らしげには見えるが、寂しさをこらえながらも、力強く咲いている姿でもある。
 この曲は、そのような感動の一瞬を、地方色を織り込みながら昔につづったものであり、
 この思いがけない花との出会いは、深い心の喜びにもなり得ることであろう。





82-1. 峠 八 里   田中允山作曲
 作曲者 田中允山は、明治29年埼玉県に生まれました。
早稲田大学在学の時に尺八を学び、その後レコード界でも活躍されました。
西洋音楽の楽理を尺八音楽に取り入れることにも情熱をそそぎ、尺八の作曲はもとより教則本
なども数多く出版されました。
峠八里は尺八二重奏の曲です。西洋音楽的な音の響きの中に伝統的な尺八本曲の感性との
繋がりを感じさせます。
峠道の情景が描写されていますので、ご一緒に山道を歩いてみてください。






 82-01 東北民謡による組曲  牧野由多可作曲

 東北はいうまでもなく民謡の宝庫であり、きびしい自然との戦いの中で
 抑圧された人間の心の叫びは、時には悲しみに満ちて溢れだしてくる。
 まことに旋律の美しい真に日本的なさまざまな唄が至るところに散りばめられているという印象です。
 この作品では三つの民謡が素材として取り上げられています。

 第一楽章  南部牛追唄
 第二楽章  津軽アイヤ節
 第三楽章  大漁唄い込み

 夕暮れの情感を思わせる牛追唄から一転してスケルツォ風とさえ思える津軽三味線によるアイヤ節。
 力強い生活の唄、大漁唄い込み、そして再び夕暮れと雪の薄明かりの中に沈み込んでいく東北。
 作曲者は、この作品を書きながら、雪に鎖された東北の持つ荒涼感と、
 それに耐えて生活する生命力の力強さが頭から離れなかったと言います。
 この曲の終結は、耐える強さを表すかのように、かすかな余韻と共に静かに去っていきます。





82-1.     童夢  吉崎克彦 作曲

筝・三味線・和太鼓などを使い子供も演奏し易く、なじみ易い曲ということで、
モチーフは東京・子供・わらべうたに焦点をしぼり、六つの題材から器楽合奏・
編曲変奏部・ソロなどを交えて一つの曲にまとめたものである。 

                       平成2年10月14日作曲

[編成] 
[演奏者の感想]






 83. 時刻の砂      吉崎克彦 作曲

 場面 1    漂う時間
 「時刻」との対面は、「形」無きものへの不安を交錯させる。
 見えざる対象との混沌にもなお、「時刻」は漂い続ける。 砂時計の「砂のきざみ」。
 場面 2    時の扉が開く
 「漂う時間」はやがて、穏やかな時を誘い、安らぎへと導いていく。
 過ぎ去った不安な時刻が、「未来の扉」への水先案内人。
 場面 3    アニーマート<時刻のエネルギー>
 創造のエネルギーは、ダダの葛藤を生み、「滅裂な暴走」を呼び起こす。
 オーバーヒートは、快活の表裏一体。
 場面 4   ゼンマイ仕掛けの「不真面目な時計」
 「形あるもの」に対する反抗は、「安定」に秘められた 光と影。
 シュールな刻みは「不真面目な時計」にも似て……。





 84. 時空(とき)を超えて  菊重精峰 作曲

 2000年2月作曲。この曲はミレニアム2000年の幕開けを祝し、
 また、来るべき21世紀も華々しく迎えたい、という気持ちを表した
 おめでたい大合唱の為の曲です。
 初、中、上級者が一緒に楽しく合奏できる様、第2筝を比較的やさしく作りました。
 曲中、怪しげな音階に転調し、世紀末の不安を表現している部分もありますが全体を通し、
 力強く、そして華々しく仕上げました。





 84-01.  杜子春 U   大嶽和久作曲

 この曲は中国の伝記「杜子春伝」をもとに芥川龍之介によって小説化された
 杜子春をテーマに作曲された曲です。
 1982年に作曲された時は演奏と語りによる組曲として発表されました。
 演奏時間は45分を超える長さでしたので、その中から4曲を抜粋し、
 新たに箏・17絃・三絃・尺八の合奏曲として書き直された曲を、演奏いたします。
 2012年に改作された曲は、「杜子春の落魄」「管弦の宴」「父母の情」「桃の里」
 の四つの部分で構成されています。





84-1.  刀田の伽藍   野村峰山作曲 

加古川市にある鶴林寺は、聖徳太子の開基と伝えられて山号を刀田山と
称する仏教寺院です。本堂、太子堂、常行堂、鐘楼など多くの文化財を
保有し、西の法隆寺と言われる播磨地方有数の古寺でもあります。
大伽藍の正門を潜り本堂の前に足を運ぶと、左手には常行堂、その手前には
三重塔がそびえ立ち、右手には太子堂、その奥には鐘楼が並んでいます。
そこは太古の歴史が今に受け継がれ、閑静で荘厳な雰囲気が漂っています。
時には妙なる梵鐘の音が境内に高く響き、平安の風情を感じさせます。
あたかも時空のながれが止まっていたかのようです。季節により菩提樹の
花の香りが仄かに匂う鶴林寺の伽藍は心が癒される空間です。
是非一度、訪れてみてください。





 85. 富  山 〜冬そして春〜           石垣征山 作曲

 富山の冬は厳しい。 その厳しさに耐え、黙々と生活を営む人々。
 だが、やがて春が来る。春が訪れたときの人々の喜びは、そういう環境だからこそ大きい。
 又、温暖な地方以上に太陽の有り難みを知っている。
 この曲は、冬から春への季節の変化と、その中で懸命に生きる人々への賛歌です。





 86. トワイライト・セイリング  水川寿也 作曲

 海をイメージしながら創った十七絃と尺八の二重奏曲です。
 かすかな波の音を聞きながら港からヨットで出かけてみましょう。
 夕暮れの海は、沖に行くにしたがって色々な表情を見せてくれるかもしれません。
 【演奏について】
 最初8分の6から4分の4になるときに、「いつのまに変わったのかな?」と
 思わせる事が出来たら大成功です。
 きっかりしたリズムも大切ですが、この曲は「ノリ」が命です。





 87. 十和田の秋     大嶽和久 作曲

 澄み切った水を満々とたたえ、十和田の山々を鏡のように映す雄大な湖。
 そこから流れ出る奥入瀬渓流には美しい世界が広がる。
 静かな水のせせらぎに合わせて歌う小鳥のさえずりや、
 様々な木の紅葉が燃える秋を彩り、荒れ狂う阿修羅の流れや優雅に落ちる
 雲井の滝がそこに美しく調和する。十数年前に訪れた十和田の印象を曲にしたものです。


 現代曲は各々の作曲者の解説から引用させて頂きました。
 また、古曲は「山田・生田流 筝唄全解 今井道郎著 武蔵野書院刊」を
 参考にさせて頂きました。