53−1.  彩 雲    石垣征山 作曲

 都会に住んでいると、美しい自然現象にめぐりあう機会が少なくなる。
 たまらなくなって郊外に出、深い緑や、美しく変化しながら流れる雲を目にして、
 心の落ち着きを覚えた。
 その時の気持ちを、筝・尺八・二重奏曲として書き上げてみました。

 彩 雲---緑などが美しく色づいた雲の事で、
      日光が雲の水滴で回析するために生じるもの。





 54. 西行桜     菊崎検校作曲
 
 謡曲、西行桜の終わりの一節の歌詞をそのまま歌っています。
 謡曲の筋は花見客が西行庵に桜を見に行くと、西行法師が出て花を
 見せてくれます。すると桜の花の精が現れて西行と花の仏心について
 問答をするそうです 
 西行法師は今年の大河ドラマ『平清盛』にも登場しておりましたが、
 もとは鳥羽院の武士で名は佐藤義清といいました。親友の急死に
 世をはかなみ嵯峨野に出家された方です。
 歌詞の中には八重桜、糸桜、千本桜と都の春景色が歌われています。
 京都の菊崎検校の作曲で前唄、手事、中唄、手事、終い唄の三段形式
 からなっています。





 54−1.     彩 花 物 語    菊重精峰 作曲
  
 彩豊に咲く花を見ていると、心が清らかになり元気づけられます。早春には
 少し早い雪どけの中から、小さな命が芽生え、可憐に咲く草花。
 卒業シーズンが近づく頃、沈丁花や梅の花が、ほのかな香りと共に別れを惜しみます。
 そして飲めや唄えの花見には、日本を代表する桜の花が美しく咲き誇り、
 私たちを楽しませてくれます。
 早春から春まっ盛りの花と、それぞれをイメージしながら、最後は日本古謡の
 「さくら」をアレンジし、華やかに締めくくられています。





 55. 祭 礼     初代星田一山 作曲
 第一筝 、第二筝、 十七絃、 尺八





 56. 嵯峨しぐれ    森岡 章 作曲

 平家物語を題材に嵯峨野の雨の風情を歌詞に織り込んだ曲です。
 虫の音を楽しむ宮人、祇王寺の苔庭に落ちた紅葉に降り注ぐ雨、
 箏の名手であった小督の局が好んで弾じた『想夫恋』の曲。
 何でもない風景を、雨の音は趣を添えて伝えてきます。





 57. 嵯峨の秋    菊末検校 作曲

 この曲は菊末検校(大阪の人、明治二十五年没、時に四十歳)の作曲になる純筝曲である。
 手事は三段になっており、替手もついているし、筝の手法としては自由で細かく、
 華やかで、筝の弾法は自由に駆使している。





 58. さくら 〜ニューバージョン〜   水野利彦 作曲

 この曲は1995年「さくらジャズフェスティバル」のためにアレンジされたものです。
 他の楽器とのセッションを想定していたので、ソロ部は、和楽器が引き立つように、
 和楽器らしさを存分に引き出し、合奏部は、パーカッション等が入って効果があるように、
 リズミカルで迫力ある音作りを考えてみました。初心者が加わった大合奏も出来るように、
 T筝は弾きやすく書かれており、和楽器のみの合奏はもちろんのこと、
 他の楽器とのセッションも楽しめるのではないかと思います。





 58−1.    桜ゆらら    吉崎克彦 作曲

 満々と広がる「桜」の群映 
 かぐわしき色香をたたえる、ひとひらの花
 旬に歓び、瞬にときめく。
 寄せる思いは花に慕い、
 ありったけの「ゆらら」に想いを馳せる。
                    2003年「桜芽会」桜井聡子氏委嘱





 59. 笹の露   三弦 菊岡検校作曲 筝 八重崎検校作曲

 この唄は一名酒とも言われる。
 全文和漢の酒に関する故事をもって酒の徳をたたえたものである。
 歌詞は大阪の酔客、島田両三の作で三弦は菊岡検校作曲、筝は八重崎検校の手付になる。
 手事本位の大曲で、掛け合いの多いのが特徴で六十八回にも及んでいる。

 [通釈]
 酒を飲みはじめると際限がないと論語にあるが、孔子は酒の飲める方であったろう。
 仏教では飲酒をすると三十六の過失をすると諌めたところをみると、
 釈迦は酒の飲めない方であったろう。何はともあれ、出雲の神の素盞鳴尊は
 八しおりの酒に大蛇を酔わせて退治なさった。これ皆酒の徳であるよ。
 品陀和気尊が酔がすすんで大石を打とうとなさったら、石は打たれまいと走った 
 ということであり、神宮皇后が敦賀からお帰りになるのを待って醸された
 御酒を差し上げなさったときのお歌に笹の御詞がうたわれている。
 これが伝え伝えて現在に至っている。今の人もその心で召し上がれ、
 劉伯倫も李太白も酒を飲まなければ平凡な人間であったろう。
 吉野の桜、竜田の紅葉も酒がなければ風情のない平凡な場所にすぎない





 59-01. さらし幻想曲  中能島欣一作曲

 古曲の『さらし』から幾つかの旋律をとり、
 さらに自由に変化・発展させて作られた三章からなる器楽曲です。
 『さらし』という古曲、
 宇治川の槇の島の布ざらしの情景と付近の名所を歌った地歌です。
 もとは三絃・箏・フルートの為の合奏曲ですが、
 本日はフルートのパートを尺八で演奏いたします。





 59-1.    詩曲一番   松村禎三 作曲

 それまで西洋の楽器のためのみに作曲してきた
 松村禎三氏が初めて邦楽器のために作曲した曲です。

 作曲者は尺八にしろ箏にしろ、その昔にアジアの一角に生じてから
 長い長い歴史をもち、一音一音の響きにそれを担ってきた人々の
 生命や世界が籠められ、日本の楽器として定着し、それを伝承し、
 今日いまにその楽器が生き続けていることを思うと、
 そら恐ろしい、怨霊の堆積に出会った恐怖のようなものを感じたそうです。

 『詩曲』を書くにあたっては、一切の現代音楽的なひきつれた観念先行の美学から
 自由であること、小さい自我の主張を殺して、心を空しくして邦楽器に詣でる。
 つまり箏と尺八をこの上なく大事にし、
 虚心坦懐にできるだけありのままに美しい曲を書くことに努めたそうです。

 〔編成〕:箏・尺八
 〔演奏者の感想〕:





 59-1   さすらいを主題とする三重奏   江戸信吾 作曲


 この曲は作曲者の叔父に当たる坂本勉氏の独奏曲『さすらい』を筝2面と17絃の為の三重奏曲と
 して編曲されたものです。原曲の持つオリエンタルな旋律を出来るだけ生かし、加えて躍動感を出す
 ことを試み、誰にでも楽しく合奏できるようにと作曲されています。
 最近になって『さすらいセクステット』として六重奏でも演奏されますが、今日はT筝A・Bと
 U筝・17絃に尺八を加え、五重奏として演奏いたします。





 59−2.     さすらいのセクテット   江戸信吾 作曲

 この曲は「さすらいの主題による三重奏曲」を
 六重奏曲にバージョン・アップしたものです。
 より一層はなやかでリズミックになった「さすらい」をお楽しみ下さい。
 尚、尺八は原曲の「さすらい」にもありますが、
 今回まったく新たに作りなおしました。





 59-3.  想    太田 潤作曲

 この曲の作曲にあたり作曲者は、17絃の豊かな残響を生かすよう心掛けました。
 曲は三部から成り1部は主題の提示、2部は1部の発展、3部は1部の再現です。
 演奏にあたっては、部分の情感を生かしつつ全体の流れと緊張感を保ち、
 創造的なテンポ設定と表現を作曲者は演奏者に期待しています。





59-4. 創 元   山本邦山作曲

『創元』という語には歴史と物語があります。
この曲は都山流創立百周年記念曲として作曲されました。
今から120年前、流祖中尾都山は都山流尺八音楽を創造し、その音楽によって『都山流』を興しました。
創造のロマンの始まりです。
歩み来た120年の創造の歴史に思い寄せ、また次の世代に受け継いでもらいたいとの思いが込められています。





 60. さむしろ   在原匂当 作曲

 この曲は在原匂当、この匂当は中国地方の人であるが、大阪に出て生活し、
 慶応三年に没した人である。
 この人によって作曲されたもので、代表的な地唄の大阪ものである。
 二上りもので、短い前弾があり、手事が賑やかにつけてあり、
 この手事のところは義太夫にも用いられている。
 短い前弾から前唄に続き、マクラがあり、手事第一段は三上り調子で
 「ひろい地」が添えられ、二段は本調子で、砧地をもって秋の気分を表し、
 チラシは形式だけで、高二上りとなって終唄となる。
 歌の節付けにこったところがあり、手事の賑やかさがあることから相俟って、
 演奏会に好んで演奏されるのである。
 この曲の三上りの手事は菊富検校作曲の湊川の合いの手と合奏される。





 60-01.    沙羅の花   池上眞吾 作曲

京都上賀茂の森を背景に愛染蔵の庭に咲く沙羅の花。
五弁の白い花冠を持つ美しい花は夏椿とも呼ばれ、初夏の心に涼しさを運びます。
そんな沙羅の花の印象を親しみやすく可愛らしいメロディに託して描いた筝と尺八の二重奏です。                 1998年4月 作曲

[編成] 筝・尺八
[演奏者の感想] 短い曲だが、独奏曲としては楽しめる。





60-02.   猿蟹昔物語     菊重精峰作曲
   
 皆さんがよくご存知の『サルカニ合戦』のお話です。
作曲当初は、話の内容を面白くするため、地歌、作もの風に作られました。
三絃二丁という形をとり、物語り風に語り口調を多く取り入れ、擬音も
効果的に盛り込まれています。この曲は、お話の面白さに演奏希望が多く、
箏・尺 八も加わりいろんな編成で今日演奏されています。
ハサミでちょん切る音、栗がはじける様子をお楽しみください。

〔編成〕:箏・三絃・尺八
〔演奏者の感想〕:作物と言われる曲は歌詞の面白さを伝えることができるか
どうかが、大切だと思います。





60‐0.  山河彩霞  川村泰山 作曲

 尺八四声に導かれ、筝が静かに唄い始める第1章は空中を漂う霞をイメージしている。
 やがて霞がはれ、目の前に明るく不思議な世界が現れる。
 まるで気持ちのよい夢から覚めた気分である。
 第2章のベースになっている沖縄風音階が不思議な雰囲気を一層効果的なもの
 としている。
 第3章は前章とうって変って、筝・十七絃の押手を効果的に使い、特に打楽器
 のパートではアドリブ的要素を用いるなどライブ感のある力強いひょうげんと
 なっている。





60-01.  三弦 五段砧    唯是震一編曲

 光崎検校作曲の箏二重奏曲、『五段砧』を三弦二重奏の編曲された作品です。
原曲の本手・低平調子を本調子に、替手・高本雲井調子を三下がり調子に移し、
箏の裏連、消し爪、割り爪などの独特な技法は、
逆に三弦特有の手法を用いるように試みられています。
そのほか随所に用いられている、
箏曲独自の下行形の音や経過音は古曲同様に
三絃の習慣に準じて上行形にて演奏されています。





60-00.  三色のダイアローグ   吉崎克彦作曲

作曲者は思う。
三絃・17絃・尺八……三つの楽器の音の彩りは互いに主張し、断固として譲らない。
古典から現代への壁を飛び越えることで、近くて遠い三色の融合を生むことが出来
ないだろうか音の彩りを失うことなく、互いの対話を具現化できないものだろうか。
はてさて、このモチーフの再現は、まるで難破船のように果てしない旅であったと…。

プロローグの尺八ソロ・三絃ソロより対話が始まり、迷いのエピローグ・三種の
モノローグそして不安定なダイアローグ。
三絃・17絃・尺 八の対話をお聴きください。

〔編成〕:三絃・17絃・尺 八





60-01 山水長巻 T  森田柊山作曲

山水長巻は、日本の水墨画の大成者、雪舟の代表作で幅40センチ、長さ16メートル
に渡って四季の山水の絵巻が展開されているものです。
曲は緩・急・緩の三つの部分からなりますが、巻物を追っていくように四季の推移
が流れるように展開していきます。
尺八と筝は古典的な技法を用いながら、山水長巻のイメージを表現しています。
 
〔編成〕筝・尺八
〔演奏者の感想〕尺八の曲にちょっと筝が寄り添う曲です。





 60-1. 三枚のお札      水川寿也 作曲

 民話『三枚のお札』を題材に、作曲者が脚本から手がけて、新しい分野に挑戦した曲です。
 演奏そのものは優しい奏法ですが、音でどれだけ雰囲気を出せるか…。
 邦楽になじみの無かった方々にも楽しく、気楽に聞いていただけたらと思っています。





 60-2.  SAKURA   水川寿也作曲

誰もが知っている『さくら』のメロディーをモチーフに作曲された曲です。

長い冬が去ると、里山には春が訪れます。春はさくら。
さくらの花を待ちわびていた村人たちは、お花見の話で明るく華やいでいます。
薄桃色の蕾も膨らみ、さくらの花は村を白く染めます。
やがて花は花吹雪となり大空を舞い踊ります。
作曲者はこのようにイメージしたそうですが、皆様にはどんな情景が見えますでしょうか

〔編成〕:T箏・U箏・V箏・17絃・三絃T・三絃U・尺八T・尺八U
〔演奏者の感想〕:合奏に楽しい曲で、終曲でもあり思い切り演奏しました。





 61. 残 月   峯崎勾当 作曲

 天明・寛政年間に活躍した峯崎勾当の門下生、松屋某の息女の追悼曲としてつくられた曲です。
 前唄は、物淋しい節付けに始まり、夢の世なるこの世を早く去ってしまったご息女ではあるが、
 今は真如の明るい月の都の極楽浄土に住むであろうと唄います。
 手事は五段から成り、明るく妙を尽くした手法で名曲といわれています。





 61-1. 潮 騒   田端能明作曲       (さ行「残月」の次)

 作曲者は山深い里の川辺で育ったので、『海』というものに憧憬を感じると同時に、
 漠然と畏怖心も持っているそうです。
 また作曲者は、『海』は人間を包んでいる繭のようなものと考え、
 この繭の中に閉じこもっている限りは居心地よく安全と考えています。
 しかし人は時として、大海原に漕ぎ出す勇気や、
 無謀にも嵐の海に船出する決断も必要なのではないだろうか。
 そんなことを考えながら作ったそうです。

 第一の部分  潮騒
 第二の部分  丸い水平線
 第三の部分  嵐の海へ、





 62. 紫 苑    山本邦山 作曲

 山地に自生するという紫苑は初秋のころ、淡紫色の優美な花を咲かせる。
 その傘状の小さな花は、雨露の気を受けるといっそう可憐さを増し、
 直立した茎は力強さをさえ感じさせる。
 その様を第一楽章で、第二楽章は霜を受けた大きくざらついた葉の光り輝く様を表している。





 62−1.    時 間 ∞ 旅 行     吉崎克彦 作曲

 TIME TRAVER
    中山晋平の世界

 氏の旋律に言葉が出会う時
   その織りなす、快い音楽空間に
 人はどうしようもなく郷愁を感じる。

    永い時間を超えて
      なおも色彩させず
    旬の匂いを現代に残す。

 人は点描のような、和らいだ癒しを感じ
   良き時代の残像を心に映す

 異彩を放つ一つ一つの曲は
   自由に異国を旅し
  9つのストーリーをさ彷徨う。





168-2.  樹 冠   長沢勝俊 作曲

「樹冠」とは樹木の枝や葉が茂っている部分のことです。おそらくドイツ語の「クローネ」
からの訳語だと思うのですが、この語感は大変すがすがしく私の好きな言葉の一つです。
曲はそれぞれの楽器が独自の歌をうたいながらだんだんとアンサンブルを形成し、次第に
高揚してゆく形をとっています。
激しい個性のぶつかりあいと、調和の世界… 。そこに新しい合奏形態を見つけようとし
たものです。

〔編成〕:箏T・箏U・箏V・17絃・尺八
〔演奏者の感想〕:





 63. 四季の日本古謡     森岡 章 作曲

 昔から歌い継がれてきた童謡には、春は桜・夏は蛍・秋は月・冬はお正月と、
 四季の移ろいを現しているものが多くあります。
 私達は何気なく一年を過ごしていきますが、時にはそれぞれの季節が持つ良さを
 改めて思い起こしてください。





63‐1.  四季の柳  宮城道雄 作曲

 この曲は筝、三味線、尺八の三曲合奏で、磯部艶子の作詞により作曲した
 古い型の中に新しい味を求めたもので、いずれも柳によせて四季の趣を転調などに
 よって、それとなく織り込み秋の部分には長唄、清元、常磐津、等三味線楽に
 よくある狂乱と言うような感じを取り入れて、舞踊も想像したものである。





63-11.  箏・三絃・17絃・尺八のための四重奏曲第一番   田端能明作曲

 この曲は筝、三味線、尺八の三曲合奏で、磯部艶子の作詞により作曲した
 古い型の中に新しい味を求めたもので、いずれも柳によせて四季の趣を転調などに
 よって、それとなく織り込み秋の部分には長唄、清元、常磐津、等三味線楽に
 よくある狂乱と言うような感じを取り入れて、舞踊も想像したものである。





63‐2.  新 浮 舟   松浦検校 作曲

 この唄は源氏物語、宇治十帖に出る浮草の物語をうたったものである。
 その概略を記すと、
 薫君に愛された中君は自分と異腹妹の浮舟に薫君を逢わせた。
 薫君は浮舟を宇治に住まわせた。中君と関係あり男子まで生ませた匂君は
 薫君と浮舟との関係を知り、浮舟を宇治から京都に連れ出そうとした。
 二人の男性の愛の板挟みになった浮舟は身を隠してしまった。
 薫君と匂君は宇治川に投身死したものと思い、七七忌の供養もしてしまった。
 然し横川の高僧の母尼、妹尼に浮舟は救われ小里の里に剃髪し尼になって
 隠棲した。
 それを薫君は聞きつけ、浮舟の異母弟の小君に文を託して浮舟に届けさせたが、
 会わずに返してしまった。





63-3. 新玉かづら     幾山検校作曲 

  源氏物語の玉かづらの巻にある光源氏の歌『恋渡る』の上の句を歌詞の冒頭において、
 玉鬘という女性を描いています。
 夕顔の子供として生まれた玉鬘は美貌ゆえに光源氏の知るところとなり、光源氏は自分の
 娘として玉鬘を六条院に迎えて養育しました。
 この曲は途中に二回の手事が入る大曲で、かっては『許し物』として扱われていました。
 三絃は本調子に始まり、中歌の途中から二上がりに転じ、後歌からは三下がりとなります。
 箏の手付も幾山検校自身によるもので、半雲井調子から平調子を経て、中空調子となります。





 64. 石  橋       

 地唄の芝居唄で、歌舞伎事始に「三味線は杵屋喜三郎で、享保十九年滝川菊之丞が
 これを増補して芳沢金七が節付けした」とある。
 三下りの大曲で、大阪と京と二種あって唄い方と曲の品位は大阪系の曲が優り、
 手は京都系の曲のほうが良く出来ている。

 [歌詞]
 我も迷うやさまざまに、四季折々の戯れに(合)蝶よ胡蝶よせめて暫しは手に止まれ(合)
 見返れば 花の木陰に見えつ隠れつ羽を休め姿やさしき夏木立 心づくしのな(合)
 このとしつき年月をいつか思いの 晴るるやと 心一つにあきらめてよしや世の中 (合)
 花による蝶連れだちて 追いめぐ廻りおりつ上がりつ そばへあげ羽のしおらしや
 追いめぐり 追いめぐり  おりつ上がりつ  そばへあげ羽のしおらしや面白や(合)
 時しも今は牡丹の花の 咲や乱れて 散るは散るは 散り来るは散るは散るは 散り来るは
 散れ 散れ 散れ  散れ 散りかかる様で おいとしうて寝られぬ 花見て戻ろ
 花見て戻ろ 花には憂さおも打ち忘れ(合)人目忍べば恨みはせまい
 為に沈みし 恋の渕(合)
 心からなる身の憂さを やんれそれはそれはえ まこと 
 う憂やつら辛らや 思ひまわせば昔なり(合) 
 牡丹に戯れ獅子の曲 げに 石橋の有様は 唱歌の花降り 
 しょうてき笙笛琴くご夕日の 雲に聞こゆべし 目前の奇特あらたなり(合)
 暫く待たせ給えや よご影向の時節も今いく程によもつきじ (合)(手事)
 獅子とらでんの舞楽のみぎん   獅子とらでんの舞楽のみぎん 牡丹の花房 
 にお香い満ち満ち 大きんりきんの獅子頭 打てや囃せや牡丹芳  牡丹芳   
 紅金のずい蘂  現れて 花に戯れ枝に臥しまろ轉び げにも上なき 獅子王の勢い 
 なびかぬ草木もなき時なれや 万歳千秋 万歳千秋と舞い納む  万歳千秋と舞い納む
 獅子の座にこそ直りけれ





 64-1  尺八と絃の為の四重筝曲     江戸信吾 作曲

  この曲は全体が3つの部分から構成されていますが、
 特に三楽章の形式の曲ではありません。
 短い筝のソロから悲哀に満ちた旋律を尺八と17絃とで表現し、
 そのあと4つの楽器で思いっきり情熱的にひと暴れします。
 幻想的なイメージの筝と17絃と尺八のカデンツをはさんで、
 後半は叩きつけるような感じで全力で走り抜けていきます。

 〔編成〕1・2筝、17絃、尺八
 〔演奏者の感想〕テンポが速く拍子が変わるので難しい曲です。





 65. 秋風辞     菊原琴治 作曲

 さやさやと人の心に通いくる ひびきすがしく懐かしく
 水の音かと汀に行けば 水は静に音もなく
 桔梗と萩にふりそそぐ 雨の音かとしのび足
 花野を行けば雨にもあらず 鈴虫 松虫 きりぎりす
 はたおり虫の声もあらで 里の童の吹き鳴らす
 草の笛かと林に行けば 童あらず木の葉鳴り
 眼にさやかなる秋景色  (手事)

 玉をころばす床しき音は これやこのいづくともなく
 ひびき来る夢とうつつの秋の声 心に通う秋の風
 貴志邦三 作詞





 66. 上弦の曲    沢井忠夫 作曲

 1979年に13絃箏と尺八のために作曲された曲です。
 琴古流尺八本曲を思わせる尺八の動きで始まり、
 古典の三曲を思わせる二つの楽器の掛け合いも出てきます。
 基本的な構図は、尺八の古典的で長めの音と箏の運動性の対照によっています。
 抒情的な尺八の使い方、ピアノの練習曲ハノンを連想させる箏の動き、
 19世紀的な西洋の名人芸の追求を思わせるところがあります。





 66−2.     松 竹 梅     三ツ橋勾当 作曲

 三ツ橋勾当作曲による、江戸時代に生まれた、大阪の地歌の代表作の一つで、
 「根曳の松」、「名所土産」とあわせて、三ツ橋勾当作曲の三絃手事大曲の
 「三役」と称されています。
 「松竹梅」は、手事ものとしては「残月」や「吾妻獅子」などと共に、
 いわゆる「大阪もの」の代表曲で、大阪では十二曲のひとつとして
 重きをおかれているものです。
 作曲につきましては伝説があり、それによりますと、三ツ橋勾当は作曲を進めるうちに、
 前唄の終わりの「梅の名どころ」の個所で行き詰まり、大阪福島の五百羅漢の弁天様
 (あるいは箕面の弁天との説も)に参詣したところ、その七日目に夢うつつに、
 三絃の三の糸をあげて一下がり調子にすることを悟り、そのあと全曲を
 一気に仕上げられたとの事です。
 歌詞の内容は、前歌で大阪の春に鶯、中歌は江戸の初夏の松に鶴、後歌では
 京の秋の月にむら竹、すだく虫の音といったように、それぞれの土地の四季の風物を
 配し、御代の栄えを祝福しており、地歌の「御祝儀物」の代表曲にもなっています。
 曲の構成は、前歌−合いの手−中歌−マクラ・手事三段−後歌となったおり、歌もさること
 ながら、手事の部分に重点を置かれた、いわゆる「手事もの」の代表作です。
 手事三段に入って「ツル・テン・ツル・テン」いう「巣ごもり地」を地として合奏し、
 松に巣篭る鶴をあらわし、手事の終わりの方には「チン・リン・チン・リン」と
 砧地をあしらって、後唄の「秋はなほ…」へ巧みに導かれていっています。
 菊植検校の「菊の朝」や、菊高検校の「金のなる木」は、
 手事全部が合奏されるようになっています。





 66−1.  じょんがら五重奏   水野利彦 作曲

 津軽三味線の代表曲である『津軽じょんがら節』を三絃以外の楽器で編曲したもの
 ですが、もちろん津軽三味線との合奏も可能です。
 打楽器を加えたりしても楽しい曲になると思います。





66-2.    White Dream −白い大地− 吉崎克彦 作曲

この曲は1991年のユニバーシアード札幌冬季大会を記念して作られた曲です。

第一章 流氷のテーマ:流氷の蕩蕩たる大自然の中でのささやきを尺八群が表現し、
    凍てつく状景を2面の筝と17絃で次々と受け継いでゆく。

第二章 まつりのテーマ:祭り!それは躍動しながら外に向けられたエネルギーで
    あり、「歓」のテーマであり、そして待ちに待った一瞬となる。

第三章 雪のテーマ:しんしんと静かに雪が降り積もる。それはあたかも切り刻まれた
    紙の一片が舞うようにも見え、点描のように心に描かれてゆく。

第四章 風花のテーマ:第3章の反対に位置する章である。踏み込むことすら拒まれる
    荒涼とした雪原や氷塊を、内的な表現に主題をおいて作曲したものである。

第五章 大地のテーマ:一歩一歩確かめるように歩みだす。大いなる大地に夢を託し、
    歩みは止まることを知らない。目は行く手を見すえ、一体何が見えているのだろうか。

[編成] 筝T・筝U・17絃・尺八難しい
[演奏者の感想] 押さえ、各パートのリズムも難しい






66-3.   新 道 成 寺  岸野 二郎三  作曲

 紀州道成寺で釣鐘を再建し、初めて鐘を撞こうという日に、日高川に
すむ蛇が都の白拍子に化けて参詣にくるという、岸野次郎三作曲による、
能の「道成寺」の後段のワキの語りを基に作られた、三絃二上り、
箏平調子の語り物風な合奏曲です。

 能楽の「道成寺」をテーマとした曲は、歌舞伎・文楽などにも数多く
ありますが、地歌箏曲においても「古道成寺」「古鐘が岬」「新娘道成寺
別名(鐘が岬)」「新道成寺」等の曲があげられます。
 語り物風に拡大された「古道成寺」という曲もあり、その後に作られた
この曲は「新道成寺」と呼ばれています。長唄の「京鹿子娘道成寺」や、
地歌・箏曲の「新娘道成寺」とくらべますと、より能楽の趣きを直接伝え
ているかと思われます。

〔編成〕:箏・三絃・尺八





 67. 新娘道成寺    石川匂当 作曲

 [歌詞]
 鐘に恨みは数々ござる、所やの鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり、後の鐘を撞く時は、 
 是生滅法と響くなり、晨鐘の響きには、生滅々亥已、入相は寂滅為楽と響けども、 
 聞いて驚く人も無し、我も五障の雲はれて、真如のつきを眺め明かさん 

 言はず語らぬ我が心、乱れし髪の乱るるも、つれないは只移り気な、如何でも男は悪性者 
 櫻々と謡はれて、言ふて袂のわけふたつ勤めさへ、只うかうかと、どうでも女子は 
 悪性者、東育ちは蓮葉なものじゃえ 

 恋のわけさと数へ数へりや武士も道具を伏せ編笠で張りと意気地の吉原 
 花の都は歌で和らぐ敷島原に、勤めする身は誰と伏見の墨染 

 煩悩菩提の撞木町より、浪波四筋に通の 木辻の、禿たちから、室の早咲き、 
 それがほんの色じゃ、一い、二う、三い、四う、夜露雪の日 
 しもの関路も共に此身は、なじみ重ねて中は圓山只丸かれと思ひ初めたが縁じゃえ。





 68. 瑞 星     山本邦山 作曲

 瑞星とは、無限に広がる星空の中で、ひときわ目立った輝きを見せる、
 めでたい兆しを示すという星です。
 その輝きのさまを、筝・尺八のからみをもって表現してみました。
 曲は三楽章から成っていますが、全体的に切れ目がなく、自然に続けて演奏されます。
 第一楽章は、拳・尺八とも各々特徴ある技巧を使ってのソロのみで終り、
 筝爪を使わないピチカ〜トという奏法をもって第二楽章に移る。
 この楽章は音階的には東洋風な幻想曲で、相互の激しい絡みが印象的です。
 第三楽章は、筝の合わせ爪より始まり、その旋律は楽章全体を通じて日本音階(都節)で
 八分の六拍子・四分の四拍子と軽快なリズムによる楽章です。
 曲の最後は、第一楽章に出てくる筝のテーマによって静かに終わります。





 68−1. 住吉詣   初代 菊塚検校 作曲

 初代菊塚与一検校作曲の三絃曲で、大阪の南にある住吉神社へ参詣の道中を
 前唄で読み込み、後唄では住吉の浜をもじって貝尽くしを読み込んである。
 本来六下がりの曲であるが、三世菊塚千楽検校が、二上がりに移調され
 親しまれて演奏されるようになった。
 また手事二段は段あわせが出来る。
 作曲年代は明治19年で、南海電車開通記念曲である。
 筝の手付けは菊末検校のものもあるが、専ら西山検校手付けのものが行われている。





 69. 青 嵐               三上振策 作曲

 青嵐とは初夏の頃、青葉の上を吹き渡る風のことです。
 芽生えの香りを含んでどこまでも吹いていきます。
 まるで新しい冒険の旅に出るように、次から次へと色んな香りを巻き込みながら
 広がっていきます。挑戦するような旋律が有るかと思えば、のどかな旋律もあり、
 曲の速度と拍子を変えることで曲のイメージをどんどん展開させていきます。
 曲は尺八・三絃・箏・17絃から始まるのですが、中間部では尺八の持つ音色を
 生かすように旋律を奏で、箏と17絃が絡んでいきます。
 最後に三絃も加わって主題の旋律を合奏して終わります。 
 この曲は三絃の調子が通常と違い、二上りよりも一音高い調子となって難しくなっています。





69-1. 清 流  菊井松音作曲

箏と尺八の二重奏曲で清らかな流れを表現しています。
曲全体は、清らかな流れがあるいは早く、
あるいはゆったりと流れながら、
木の根・岩の根に水が砕けて発する様々な響きや、
それに交じって渓谷に遊ぶ鳥達の声も聞こえてくるように作られています。
箏のカデンツァ部分は、演奏者の個性が発揮できるように、
魅力的な作曲となっています。
尺八は音色を工夫し、
ムラ息なども効果的に使うことで面白い仕上がりになる曲です。





69-2. 汐  流    柳内調風作曲

時の移ろいは 流れる水のごとく 遠き明日への道しるべ

 作曲者は作品の標題に、天地自然との関わりを深く持つものを多く用いています。
それは『音』という具体現象が空気や水という自然と不可分な媒体を通じて、我々の
五感にコンタクトして来るからにほかなりません。音はまさしく振動であり自然の『心』
そのものです。
古人は万有引力をひもとかなくても、朝と夕べに二度訪れる潮の干満を…早朝の海に
ひたひたと寄せ来るしおは『潮』と呼び、夕べの引きしおを『汐』と名付けました。
およそ自然は万物平等にきびしき反省をうながしながらも、あふれるばかりの慈愛を
ふりそそいでいます。





 70. 世界の民謡メドレー1  池上眞吾 編曲

 この組曲は1993年8月26日に幕張メッセで行われた
 「世界精神保健連盟世界大会レセプションコンサート」のために、
 筝・三絃演奏家藤井泰和氏より依頼を受け編曲したものです。
 世界各国各地の有名な民謡が次々に登場、メドレー形式の楽しい曲調に仕上げました。
 編曲に当たり、それぞれの曲のイメージを損なわず、
 筝や尺八の特徴をいかすように工夫しました。





70-1.   せせらぎ四重奏  江戸信吾 作曲

この曲は坂本勉の独奏曲「せせらぎ」を四重奏に補作編曲したもの。
原曲の、谷川のせせらぎを表現している様を大切にアレンジした。
                     2003年 編曲

[編成] 筝T・筝U・17絃・尺八
[演奏者の感想] 弾き易いし、面白い曲です。





 71. 雪月花に寄せて     吉崎克彦 作曲

 雪月花とは日本の四季の美しさを表す代表的な言葉として使用されるが、
 深々と降り積もる雪も、冴え渡る月も、その裏には古来、人々の託された熱い想いがある。
 花は言うまでのなく、桜を意味し、月夜に見る満開の夜桜は、美しさを通り越して
 隠れ去った人々の情念をすら呼び起こす。
 この様な日本的自然観と、そこに託された想いを、日本の伝統楽器である箏・尺八の為の
 四重奏曲として現代的感性で表現してみた。
 この曲の構成は題名に関連して3つの部分から成り、『合奏部』『カデンツ』『合奏部』と
 分ける事が出来る。そして『雪』『月』『花』をそれぞれ、モチーフとして作曲したが、
 その解釈は演奏者の自由な思考を加味して、そのつど変化させて頂くのも面白いと思い、
 その様な自由さを意識して作曲した。





 71−1. 宙 〜SORA〜   江戸信吾 作曲

 星は人の心を、壮大な宇宙へといざなう。幼い頃から何故か心をとらえていた天の川。
 夜空に輝く"天の川"を見ていると、満天の星々が
 今にも地上の川に流れ出してくるような気持ちになる。
 静かにまたたく星々はやがてスパークし、流れ星となって地上の川に降りそそぐ。
 そして星々は再び、宙〜SORA〜へと戻ってゆく・・・ "天の川"を、
 筝二面と尺八の三重奏で表現した曲である。





71-2. 空と海のあいだ   水野利彦作曲

目の前に広がる瑠璃色の海。 見上げれば透き通るような空色。
白く光るような砂の浜辺で、超越した自然の美しさに深い感動を
おぼえた作曲者は、その想いを尺八と17絃の二重奏に託しました。



 現代曲は各々の作曲者の解説から引用させて頂きました。
 また、古曲は「山田・生田流 筝唄全解 今井道郎著 武蔵野書院刊」を
 参考にさせて頂きました。