1. 哀歌 −沈める瞳−   吉崎克彦 作曲

 人は常に何かを追い求めて旅する・・・・。
 十七絃の持つ切々たる響きは、いつも私を哀しみの音へと旅出させてしまう。
 哀しみのテーマは私の心の中で広がり、哀しみから悲しみの音へと旅立って行く。
 低音の哀しく重い響きから、高音の嘆きにも似た音へと追い求めて行く時、
 不思議に遠くイスラムの世界に広がる砂漠の真直中で見る蜃気楼を夢想してしまう。
 それは余りにも不毛なるがゆえの幻想的哀歌なのかも知れない。
 沈める瞳に、人は不毛の哀歌を感じる・・・。





 2. 会津の残照    野村正峰 作曲

 慶応4年(1868年)秋深まりゆく9月22日、会津若松城は落城しました。
 世に戌辰戦役といわれるこの物語は『勝てば官軍』の史観によって、
 敗者を賊軍 といい、敗者の側で義に殉じて散っていった若い命を、
 不当に辱めてきた嫌いがありました。
 この曲は、勝者・敗者の双方の無名の戦士達や、
 動乱の世紀に巡り会った悲運の庶民たちへの鎮魂歌として、作られました。





 2−1.   合奏曲 葵    川村泰山 作曲

 葵は、江戸三百年の時代を築いた徳川家の紋章としてしられる。
 その葵の持つ典雅なイメージをもとに、尺八・筝・十七絃の合奏曲とした。
                  
                            1980年 作曲





2-11. 青葉の頃に  江戸信吾作曲

春の季節を迎えると、木々は新緑の葉を生い茂らせます。
この美しく瑞々しい新緑は、蝉の鳴く夏や、
実りの秋を謳歌してきただけではなく、
とても厳しい冬をも乗り越えてきました。
人の心を和ませ、
無限の希望を与えてくれる色鮮やかな青葉は、
地上の様々な営みを受け止めながら、
力を蓄えてきた木々の力強い発露。
そんな青葉に、これからの人生の春夏秋冬を逞しく乗り越えて、
新しい世界へと旅立つ姿を重ね、若人への讃歌としました。





2-2 青葉の賦     川崎絵都夫作曲

T 城跡
 長い年月、そこにどっしりとその勇姿をたたえる仙台・青葉城。
戦いとそれにまつわる喜び、悲しみをじっと見つめて来た歴史を感じます。
U いのちの森
 青葉山には付属植物園、市民の森などがあり、サギ、リス、雉が見られ
山頂を霧が覆うと幻想的な雰囲気に包まれます。
V 祭り
 いのちを育む森の収穫や、人々が人生を謳歌する様子を表す楽章です。

この曲は、筝・三絃・尺八T・Uの四重奏です。
曲の始まりはゆったりとしたリズムの中、それぞれの音が絡み、祭では全員が、
収穫に酔いしれる喜びの曲へと盛り上げます。

〔編成〕筝・三絃・尺八T・尺八U
〔演奏者の感想〕尺八2本はやはり面白いです。楽章に変化があるので色んな
        気持ちで演奏できます。




2-21. 蒼き狼の夢   川崎絵都夫作曲

第一楽章 夜明け〜希望
 チンギスハーンの誕生、父親を亡くしてからの凄惨な日々、大モンゴル帝国の夜明けと
発展を大きな流れのメロディーや、リズミカルな合奏で表しています。

第二楽章 安らぎ〜鎮魂
 国のため、民族のためとはいいながらも、延々と続く戦いの日々の中、束の間の休息は
亡くなった仲間たちへの思いに心を馳せ、静かに時には激しく奏でます。

第三楽章 戦い〜そして明日へ
 戦いを告げる管楽器の咆哮。その最中にふと心をよぎる、亡くなった仲間や肉親への思い、
再び決意を新たに、わが民族の永遠なることを信じて、戦いを続けるチンギス・ハーンの姿を
勇壮な太鼓を主役に表現します。





2-3.  民謡組曲「AKITA」   江戸信吾作曲

民謡大国である秋田県の中で、とりわけ親しまれている『飴売り節』
『おばこ節』『おこさ節』『ドンパン節』の四曲をメドレーにしました。
編成は、箏二部、17絃、尺八二部の六重奏曲です。
それぞれの曲の持つ特徴を生かしながら、のり良く賑やかに合奏
できるように心がけて作曲されています。






2-4. 秋麗ら   石垣征山作曲

『麗ら』とは天気が良くて、おだやかな様子を表す言葉です。『春』に付けて言いまわされる
ことが多いように思われますが、『小春日和』とか『インディアン サマー』と云う言葉があるように、
秋の頃にもこの『うらら』が当てはまる気候が現れるときがあります。
この曲は大きく分けて二つの部分に分かれますが、箏・17絃・尺八の独奏部をはさんで
自然に演奏が続いていきます。






 3. 明   石        中村双葉 作曲

 源氏物語に取材した、組曲『源氏』の第三の曲として作られたの。
 純情な明石の上が光源氏と結ばれた恋の風情や、やがて源氏が都に帰り、
 あとに残って別離の悲歎に沈む、明石の上の心情を主に唄ったもので、
 平安朝時代を偲ばせる雅やかな情趣の中に哀愁がこめられています。
 [歌詞]
 淡と見る 淡路の島の あわれさよ 残るくまなく澄める世の月 秋は浜風  十三夜 
 虫の音しげく貴人の 木立も深き 語らいや几帳の紐に 琴ふれて 
 かきつめて海士の焼く藻の 思いにも  今はかいなきうらみだにせじ 都に召され 
 行く源氏の形見はかなき琴の琴 つきせぬ音をや しのぶらん 明石の上に 風かなし





 4. 秋に寄せる三つの幻想曲   長沢勝俊 作曲

 日本の美しい四季、特に秋はさまざまな物思いにふける季節であり、
 音楽の分野でも幾多の名曲がつくられています。
 また秋を表現する美しい言葉も数多くあり、それぞれが含蓄に富んだ
 こまやかな雰囲気をかもし出しています。
 急速に失われていく自然の中で私は日本のこの心だけは常に大切にしたいと
 念願してきました。
 曲は三つの部分から出来ており題名が付いていますが、これにこだわる
 必要はありません。
 長い伝統を持つ日本の楽器が、それぞれの所をえて生き生きとしたアンサンブルに
 より、日本の秋をうたいあげることが出来ればと希い作曲したものです。





4-1.  秋の初風    宮城道雄作曲

 平清盛の寵愛をうけた絶世の美女、祇王と仏御前がやがて世を捨て、嵯峨野の
 祇王寺で共に仏門に入ると言う、平家物語のお話を叙情的に唄ったものです。

〔編成〕
〔演奏者の感想〕





4-1.   朱へ  沢井比河流作曲

朱は、尺八の内側に塗り込められた漆の色。
それは奏者の指からこぼれ落ち、空間を満たし、人の心を満たす。
その時、筝は自然に鳴り始めます。まるで朱と一体化するように。
曲は一尺六寸管尺八と筝の二重奏で、中高音域を使用した明るい
音色で構成されています。

[編成] 尺八・筝
[演奏者の感想]





4−2.   秋の風土記    菊重精峰 作曲

平成13年5月作曲。ここでいう「秋」とは「秋津島」いわゆる大和国(日本)と季節の「秋」を掛け言葉として利用しました。
秋にまつわる言葉に「読書の秋」「芸術の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」等、一年を通し、やはり一番過ごし易い季節がこの「秋」であると思います。
只、秋は夜が長く、物思いにふけったり、夕暮れの時など、どこか物悲しくなったりもします。そんな秋の日を思い浮かべながら、二章をまとめてみました。
一章は秋の夜長の物悲しさを、二章では変わりやすい秋の空をヒントに展開して行き、和の響きを大切にしながら古典調にならぬ様に配慮しました。   草萌会委嘱





4-3.  秋の譚詩    大嶽和久作曲

 暑い夏が過ぎると、山里を彩る秋がやってきます。
秋を人の一生に見ると、燃える青年期の後に来る、実りの壮年期。
秋になり徐々に色づき始める山里も、やがて真っ赤に彩られます。
実りの秋は色鮮やかで見事と言う外ありません。
しかし、晩秋がもたらす情感は我々に新鮮な感性を与えてくれます。
それは、鮮やかな秋景色にも増して素晴らしいものと言えるでしょう。

〔編成〕:箏・尺八





 5. アクシス   水川寿也 作曲

  アクシスのもともとの意味は「軸」ですが、音楽用語でモードの中心音を表すときに
 使われたりします。
 『どんなリズムやメロディを使ったとしても邦楽器には、持って生まれた伝統が根底にあって、
 自然とそこを中心に音楽が出来上がっていく。』というような意味で考えてみました。





5-1. 阿修羅  中村洋一 作曲

今年の奈良は平城遷都1300年で賑わっています。奈良興福寺の阿修羅像を
拝観した人も多かったことと思います。仏像に限らず、美術・文学・建築など
には、人間の観念の投影を見ることができます。
この曲も仏像に投影された製作者の観念と、作曲者のそれとの交錯の中で生ま
れました。人間の精神が高みに上ろうとする姿、そして観念的には到達しなが
らも現実の身ではそこに至り得ぬ悲しみ、その過程におけるいたましい葛藤を
描こうと作曲された曲です。

〔編成〕:箏T・箏U・十七絃・尺八T・尺八U





 6. 吾妻獅子    峯崎匂当 作曲

 大阪の峯崎匂当(寛永年間の人)による作品である。
 手事のものとして有名であるが、その手事は曲違いの打ち合わせと砧地が入って
 華やかな旋律であるので、よろこばれるのである。
 三下りの替手は石川匂当のてによってつけられたものである。

 筝唄の獅子物中、越後獅子とともに好まれる曲である。
 作唄詞は堀氏によるもので、伊勢物語の東下りの在原業平朝臣のまめ男から
 うたいおこし、江戸、吉原での遊びに獅子舞をのせた唄である。





 7. 安曇野      池田静山 作曲

 安曇野は穂高のふもと、田園の叙情、香り高いところ、農家の白壁が風に映え、
 水辺には北アルプスが姿をおとします。
 そして時折出会う双体道祖神のほほえましさ。
 そんなの道を散策した時の印象をつづったのがこの曲です。





7-1.      雨だれのマンボ  前田和男  作曲

この曲は作曲者の処女作品です。楽しいマンボのリズムが巷にあふれていた頃、
降りしきる雨の音が作曲者にはそんな楽しいリズムを打っているように聞こえました。
日本音階の旋律をいかし筝T・筝Uで演奏できる曲となっています。

[編成] 筝T・筝U
[演奏者の感想] 筝同士の合奏を楽しめる曲です。





 8. 雨     山本邦山 作曲

 丁度梅雨の頃であった。長い雨が降り続き窓から外を眺めているうちに、
 今ではめったに見られない“から傘”をさした人が通りかかる。
 そのたびに「パタパタ」と大きな音をたてて通り過ぎて行く、
 何も考えずただ外を見ていた私にとってそれが強く印象的であった。
 曲はA−B−Aと言う簡単な形式で非常に短い曲である独立した筝、
 尺八二重奏曲である。約8分





 9. 阿 波        森岡 章 作曲

 軽快なリズムで知られる徳島の阿波踊りをもとにして作曲したもので、
 速いテンポとリズムが特徴となっています。
 尺八・三絃・箏・17絃の持つそれぞれの個性を生かすべく、
 独奏部と合奏部に分けて作曲されたもので、独奏楽器としての音色の変化、
 各独奏楽器によるアンサンブルの響きの美しさを表現しています。
 この題は勿論、四国は徳島県の阿波踊りを基にしています。
 踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らな損々(新町橋まで行かんか 来い来い)
 /阿波の殿様蜂須賀公が 今に残せし阿波おどり
 /アー エライヤッチャエライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」。
 7・7・7・5調の阿波踊りのはやし唄は、「カンカンカラーン」とリズムをとる鉦、
 「ドドンガドン」と腹の底まで響きわたる大太鼓、「シャンカシャンカ」の
 三味線の音が加わって、リズムは最高潮に達します。
 8月のお盆の三日間、打ちならされる鉦や太鼓の音に、人々は踊り狂います。
 きっと無中に踊ることで、夏の暑さや、色んな社会情勢もいっとき忘れて、
 踊る人・見る人の心は一つになっているのかもしれません。





9-0. 阿波・鳴門の幻想   田端能明作曲

この曲は阿波地方を舞台にした四重奏曲です
鳴門の「渦潮」は潮流の干満の差が大きくなる春・秋には轟轟(ごうごう)と渦を巻いて流れ、
今にも海の底に引きずり込みそうな迫力をみせます。阿波の国の各地に伝わる人形浄瑠璃は
三人遣いの人形芝居で農村舞台で祭礼などとして上演されてきました。
そして阿波といえば阿波踊りです。
毎年、阿波踊りの会場は、十万人の踊り子と130万人の見物客の熱気に包まれます。
「阿波の国」「渦潮」「人形に寄せて」「祭り」の四つの部分から成り立つ、
風光明媚で気候温暖な阿波の国をご一緒に旅してください。





9-1.   尺八・筝協奏曲 いざない  石井由希子 作曲

「いざない」とは「誘い」の意の雅語的表現です。
曲は大きく分けて、序・急・緩・急の四つの部分から成り立っています。
緩の部分に誘う尺八のカデンツァ、急の部分に誘う筝のカデンツァではソリストの
素晴らしさを、終焉へと高揚してゆく終結部ではアンサンブルの妙味を味わって
頂ければ幸いです。
私にとってこの曲は四曲目の邦楽作品ですが、和楽器にふれればふれるほど奥の
深さを痛感し、独特の雰囲気に魅せられてまいりました。
和楽器の持つ魅惑的な世界に、皆様をいざなうことができれば・・・
との思いから、この題名をつけました。        
                   (1993年 東京尺八合奏団委嘱初演)

[編成] 独奏筝・筝T・筝U・17絃
[演奏者の感想]





 10. 石 薬 師       石垣征山 作曲

 有名な安藤広重の浮世絵、東海道五十三次の中の一つ、「石薬師」の額絵より受けた感動
 一見なんでもないような風景であるが、実に懐かしい。
 日本人が共通して持つ郷里の原風景である。どこにでもある、そして誰の心にもある、
 極めて日本的な風景……そんなものを箏・17絃・尺八の四重奏にまとめた曲である。





 10-0.    磯 千 鳥   菊岡検校作曲

 京都の菊岡検校が作曲し、八重崎検校が箏の手を付けた京風手事物の
代表作です。歌詞は『古今和歌集』『源氏物語』などの、古典の表現を
巧みに織り込んで、思い通りにいかない男女の仲の悲しさを、浜辺で
鳴く千鳥の侘しい鳴き声に託して歌っています。

 大富豪に嫁いだ『お磯』という貧しい公卿の娘が、夫の廓通いに涙し
その悲しみを歌ったものとも、また、悲しみのために若死にしたお磯
の追善曲とも言われています。
 三絃は低二上りで始まり、手事で三下がり、後歌で本調子となります。
前歌―手事―後歌という構成で、手事はさらに、ツナギ・マクラ・手事・
中チラシ・本チラシに分かれ、中チラシには千鳥の声の表現があります。

〔編成〕:箏・三絃・尺八





10-1.    組曲 出雲路  船川利夫 作曲

昭和35年作曲。作曲家の生まれ育った出雲地方の風景を、心に刻まれた思いと共に音で綴っている。
3曲からなり「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映え」というタイトルがつけられている。

1、3曲は静けさの中に、作曲者の心にこみ上げる気持ちと自然が対話し大きなものの中に
とけこんでゆく。
2曲目の「祭」はワッショイ、ワッショイと賑やかなかけ声が聞こえるようであるが、
ざわめきの中にも一抹の哀愁をすてきれない作曲者、いや日本人の心が見えている。
船川氏の作品で最も多く演奏されている。

[編成] 
[演奏者の感想] 合奏は難しい。





 11. 出雲の阿国    水野利彦 作曲

 阿国歌舞伎の創始者として知られる、出雲の阿国を題材として書かれた作です。
 出雲からはるばる京の都へ旅をしてきた阿国一座。都は今や春爛漫。
 出雲の国のなつかしさと、都の華やかさをかみしめて、ふるさとや  出雲の国を
 あとにみて  みやこは春の花ざかり   花ざかり      と歌います。
 四条河原の芝居小屋の賑わいに誘われ、思わず鈴を手に軽やかに踊り出す阿国。
 阿国は山三という勇壮な若者との出会いによって、阿国歌舞伎の出発ともいえる
 男振り踊り、滑稽味を交えた創作踊りに意欲を燃やします。
 そして山三との悲しい永遠の別れ。 しかし、山三の魂は阿国の踊りの中に宿っています。
 フィナ−レは迫力ある群舞。素朴ではあるが、力強い念仏踊りのエネルギ−は、
 歌舞伎創造への源になったのではないだろうか。
 「な〜むあみだぁ〜、なむあみだぁ〜」 生命力に満ち溢れた踊りはいつまでも続いていく。
 (歌詞)
  ふるさとや  出雲の国を あとにみて みやこは春の花ざかり  花ざかり
  じしょうしょうじょうほっしん自称清浄法身は にょじょじょうじゅう如如常住のほとけなり 
 まよいもさとりもなきゆえに  知るも知らぬも益もなき 南無阿弥陀仏  なむあみだ
  みょうごうしゅういん名号酬因のほっしん報身は ぼんぷしゅつり凡夫出離のほとけなり  
 十方衆生の願なれば  ひとりも洩るる咎ぞなき  南無阿弥陀仏 なむあみだ
  べつがんちょうせい別願超世の名号は 他力不思議の力にて 
 くちにまかせて唱ふれば声にしょうじ生死の罪消えぬ 南無阿弥陀仏 なむあみだ
 こうみょうへんじょう 光明遍照  十方世界 念仏衆生 せっしゅふしゃ摂取不捨
  南無阿弥陀仏 なむあみだ  南無阿弥陀仏 なむあみだ





11-1.  壱 越  山本邦山作曲

箏・尺八の二つの声部からなる純器楽曲です。曲は三楽章から成り
調性は全楽章通じ、壱越を基調とし、その手法も各楽器の性能を
十分に働かせるために書き綴った作品です。また箏の声部は独奏曲
としても使用できるように心がけた曲です。
一楽章 箏独奏に始まり曲全体に出てくる要素を含む序の部分があり
次第に流動的に変化し自由に発展していきます。
二楽章 特に全音階を駆使した楽章で尺八の独奏から始まり、途中、
尺八によって全音階に移る為の導入部があり、漸次主要部分に入ります
特に日本の旋律から離れた楽章ではありますが、楽器の持ち味によって
可能ならしめています。
三楽章 一楽章と同じモチーフで表現した楽章です。特に伝統的な段物
手事に出てくる手法を駆使した部分が多く、箏によるスクイ爪、掻き手
などが印象的です。





 12. 今小町

 作唄詞者は不明。題名は小町とあるが、小野小町には関係がない。
 前唄の終句「すいな世界の今小町」からつけられたもので、
 小町とは美女の代名詞として取り扱われるのである。
 昔の遊女は金銭では自由にない。好いた男には進んで靡くといった
 意気地と張りをもった心意気をうたった唄である。
 曲は京都の菊岡検校の三味線手事ものを八重崎検校が筝の替手式手つけをしたのである。

 京もの手事形式からなっている。調子の移りが変態で、二上りから手事が三を上げて、
 一下とし、手事の終わりから一を高くして本調子で終わる。




12-0.   五人の尺八奏者の為の「陰 陽 句」  山本 邦山  作曲

 古典本曲風の即興的な独奏部分と、そして拍やリズムの明確な民謡風
旋律の重奏部分があり、パートは二部に分かれて、独奏、重奏、五人の
合奏というように各種の形が交互に並びます。陰音階と陽音階を対比して
用いたところから『陰陽句』と名づけられました。
 
 曲は二章からなり、まず第一章の序は、第一尺八の第一奏者の独奏から
はじまり、第二尺八の第一奏者の独奏へと続きます。第一段は趣きを変え
て民謡調の旋律のオクターブのユニゾンで始まり、第一尺八・第三奏者の
ソロをはさんで、和声的に流れます。
 第二段はテンポを速め、第三段は第一段の前半を反復し、最終段の独奏
部分にはいります。 第二章は、わらべ唄風の旋律を歌い継ぎ、ソロから
ソロと加わって最後は五人の合奏となって終わります。

〔編成〕:尺八T・尺八U





120-0A  雨声五章   菊重精峰作曲

私達が住む地球には、いろんな自然現象が存在します。その中の
一つ『雨』を題材にした尺八・箏による二重奏の曲です。
皆さんは雨をどのように捉えておられるのでしょうか。
雨は、人間には絶対になくてはならない大切な、大自然の宝物です。
作曲者は、今回5つの雨を取り上げ、組曲をして仕上げました。
干ばつの時に大地を潤わせてくれる有難い雨、霧のように細かい雨、
時雨や驟雨、そして雷を伴った強い雨。そんな雨が作曲者に力を
与え、16分音符となり二拍三連となって、箏・尺八のデュオに命を
注ぎます。風を伴った雨はムラ息と変化し、霧のようなやさしい雨は
繊細な箏の音に潤いを与えます。そしていよいよ最終章。若者たちが
びしょぬれになりながら雨を楽しみ大自然を走り回る。作曲者自身の
思い出と結びつけながら激しく締めくくります。
〔編成〕:尺八T・尺八U





 12−1.   海鳥の詩    江戸信吾 作曲

 この曲は高知県三曲協会の委嘱によって"土佐"のために書いたものです。
 桂浜の海岸から見た静かなで雄大な太平洋の風景、その中に打ち寄せる波、
 力強いカツオ漁の様子等を盛り込み、一羽の海鳥がそれらを眺めながら、飛び続ける。
 といったイメージで、ノリの良い民謡調の曲に仕上げました。





 13. 海の青さに     宮田耕八郎 作曲

 海の青さに胸を締めつけられるような、せつない思い・・・。
 そんな思い出をお持ちでしょうか?
 作曲者の宮田耕八朗氏は、ある初貫の日を想いかえして、
 こんな恋文のような三重奏曲を書きました。
 ともに歩いたあの海の青さを忘れることができません。
 海の青さに 熱い想いが溶けあって  いつまでも いつまでも 私の心に残っています
 すてきな想い出を・・・ ・・・ありがとう





 14. 海のアラベスク   水野利彦 作曲

 サファイヤの輝きを帯びた紺碧の海、銀砂の浜辺、絵画のように心に染み透る風景。
 十七絃の深い響きが深遠なる海を、尺八の叙情的な歌が、
 悠久たる時の流れを描いているかのようだ。
 そして、両者の織り成す音はあたかも、無数の絵の具のように、
 美しく幻想的な世界を浮かび上がらせてくれる。





14-01. 海の画集    狩谷春樹作曲

尺八と箏、17絃のための三重奏曲です。第一楽章4分の4拍子アレグロ、モデラートで
『潮騒の夜』 第二楽章8分の6拍子アンダンテ、『海の夜明け』第3楽章4分の2拍子、
ヴィヴァチェ『怒涛』の3楽章に分けて、海の様々な様子を歌いあげています。
楽章は切れ目なく演奏され、全曲を通して云えることは、現れる主題がその都度変化し、
幻想的な歌を繰り広げていきます。
全曲の統一は主題によってというより、個々の動機によってなされている曲です。





14-1.   浦の舟唄   石井由希子 作曲

この曲は、1995年浦安市三曲協会第三回定期演奏会の為に皆で楽しく
合奏できるような新曲を、との依頼を受け作曲いたしました。
浦安の海岸から眺める海はとても穏かでした。潮風に誘われるように
たつさざ波、鳴きながら飛び交うかもめ、そんな中を櫓を漕ぎながら
ゆったりと進む舟などを思い浮かべ、昔を懐かしみつつ音を綴りました。

[編成] 筝T・筝U・17絃・三絃
[演奏者の感想] のどかな楽しい曲です。





 15. 越後獅子    峯崎匂当 作曲

 越後の角兵獅子を骨子として当国の産物・名所・地名をうたい込んだ唄である。
 越後獅子と言えば長唄の代表曲のように思われるのが常識になっているが、
 原曲は地唄の方である。作曲は峯崎匂当であるが、作詞者は不明である。
 越後獅子は角兵獅子のことで、新潟蒲原郡月潟村の角兵衛と言う人がはじめた舞で、
 子供に獅子頭やタッツケ袴をはかせ、先ずとんぼ返り逆立ち水車や海老形などの
 曲芸を教え正月に舞わせる舞である。

 本曲は大阪の人で寛政・亨和・文化年間に多くの名曲を残した峯崎匂当の三味線もので、
 京都では八重崎検校の手ずけ筝がある。別に市浦検校が雲井調子の替手式手ずけがあって
 雲井手ずけといっているものもある。
 手事二段で、この手事のチラシは三味線右手法の稽古のため専門家では
 数弾きとして練習曲に用いられる。
 地唄の古趣のうちに華やかさがあり手事の賑やかさがあるので好まれる曲である。





 16. 絵 夢      栗林秀明 作曲

 この曲は、晩秋の勝尾寺の山中に佇んで聞いた風の音をテーマに、
 尺八と筝の為の二重奏曲としてロマンチックな曲想にまとめたものである。
 序奏部は、黄昏の山野を吹き抜けて行く秋風イメージとして、
 やわらかなトーンの尺八で始まり、筝はその尺八の音を包み込むように進行して行く。
 筝のソロ部分はハギレ良いタッチで、リズミックに弾きこんで行き、
 尺八ソロ部は余韻を大切に、叙情的に吹き、終曲部は尺八、筝が対比的に、
 流れに乗って終曲となる。





 17. 桜下の吟     三上澄恵 作曲
                    
 後醍醐天皇が隠岐に流される途中、美作国(岡山)において南朝の武士、
 児嶋高徳が天皇の宿所に潜入、庭の桜の幹に『天勾践を空しうするなかれ。
 時に無きしも非ず』という漢詩を書いて忠心を表したとの物語をもとに作曲。
 曲中に詩吟が入り、桜の散るイメ−ジとともにドラマの美しさと哀れさを盛り上げている。





 17-1. 岡康砧  作詞・作曲者不明  深海さとみ手付け

 山田流箏曲の中でも有名で度々演奏されるこの曲は、もともとは胡弓の曲でした。
 明治中期、廃絶していたこの曲を、山室保嘉が記憶を辿り、三代目山勢松韻などの
 手により世に出て、さらに今井慶松が手事風に編曲したものです。
 それを原曲として、この度の手付けは歌・三絃は原曲どおり、箏は本手の調子を
 双調平調子で、一の絃には太い糸を使用して一の乙としています。
 替手は壱越の雲井調子で、独自の動きで洒落弾きを展開してゆくという構成になっ
 ています。

〔編成〕:箏本手・箏替手・三絃・尺八





 17-2.    音 風 景   石垣 征山  作曲
      
 皆さんは音に風景を感じますか、この曲の作曲者は音の中に風景を感じ、
また、逆に「風景」から連想される「音」もあるように思ったそうです。
 そして日本の風景を描くには、やはり邦楽器との想いから作曲を進めて
行きました。曲は3つの楽章から出来ていますが、それぞれの楽章は
どんな風景を描くことでしょうか?皆さんは音から、どんな風景を
感じるのでしょうか?

〔編成〕:箏T・箏U・十七絃・三絃・尺八





 18. 尾上の松

 高砂の尾上の松の相生と、永久に栄える齢を祝った唄である。
 この曲は元来三味線の曲として、九州でひかれた地唄であった。
 作歌者も作曲者もわからない優れた曲であるが、それ程知られなかった。
 それを宮城道雄師によって、細かな手の三曲合奏に手ずけされ、
 手法の妙によって有名になったものである。

 前述のように九州の地唄に、宮城道雄師の手ずけされた唄であるが、
 この曲が生まれるに当たっての事情について、吉川英史著「宮城道雄伝」に
 次のように記されてある。
 朝鮮京城から東京へ上京されての第一回作品発表の後ことであるが、
 その批評の一部から、「新しがってピアノの真似をしている。
 あれは古曲を知らないからだといわれた」。吉田晴風はこの批評に憤慨し、残念がった。
 葛原滋、吉田らが相談の結果、宮城に古典的な作曲も進めることになり、
 それに答えて宮城は古曲の尾上の松という三味線伴奏の歌曲に、
 新たに筝の手をつけることになった。
 これは、後日、宮城の第二回作品発表会に「番外」として発表された。とあるのである。
 この曲の手事には楽の手三段あり、神楽拍子とチラシがあり、後唄は二上りになって、
 派手な唄になっているのである。雅楽の手が含まれた気品の高い曲である。





 19. おばば幻想曲   森岡 章 作曲

 岐阜民謡『おばば』の旋律を基調として作曲されたものです。
 完全な民謡おばばの旋律は異なった速度とリズムで2回出てきますが、
 部分的なリズムや旋律は、各所で取り入れ歌詞のもつ意味はあいは殆ど考えず、
 旋律の持つ味わいを幻想的に表現した曲です。
 祝い唄として全国的に有名なお婆々。この唄の発祥の地は揖斐川町です。
 時代は天正年間、上善明寺に嫁いだ揖斐城主堀池備中守の姉が
 初男子を出産したことを祝い、老母が三升の酒と笛や太鼓をもって嫁の在所を訪ねた
 という逸話からこの民謡が生まれたと伝えられています。
 この曲は岐阜民謡『お婆々』の旋律を基調として作曲されたもので、
 完全な民謡おばばの旋律は異なった速度とリズムで2回出てきますが、
 部分的なリズムや旋律は各所で取り入れ、歌詞のもつ意味あいは殆ど考えず、
 旋律の持つ味わいを幻想的に表現した曲です。





 20. 思い出        中村双葉 作曲

  長く住みなれた故郷 四国を離れ、大阪に奉職し、初めての暑中休暇に帰郷した折、
 作曲した物で、懐かしい故郷の山河に接し 幼い日の思い出を回想して曲にまとめたもの。
 作曲の当初は 箏四重奏曲として発表したが、たまたま都山流々祖の賞賛を得たので、
 その一部を尺八楽に改作して、同流より出版されるに至ったので、
 現在はその形式で演奏されている。

 現代曲は各々の作曲者の解説から引用させて頂きました。
 また、古曲は「山田・生田流 筝唄全解 今井道郎著 武蔵野書院刊」を
 参考にさせて頂きました。





 20-1.  おもいのたけ  香登みのる作曲

 おもいのたけ。この言葉の意味は、慕う心のすべて、思いの限りだそうです。
 人は愛しい人を思うとき、その思いのありったけを相手に伝えようとします。
 それは言葉であったり、文章であったりもしますが、時には『うた』であっ
 たり、音楽であったりするわけです。
 思う心の切なさを尺八・箏・17絃の音色で感じてみてください。

 作曲家の区分:上級 演奏会、ライブ向き
 〔編成〕:箏・17絃・尺八
 〔演奏者の感想〕:箏の16分音符の上に17絃が音を重ね尺八が唄います。きれいな曲です。





 20-2. 複協奏曲 おもむくままに   菊重精峰作曲

 この曲は「ダブルコンチェルト」というタイトルで初演しましたが、楽譜発刊にあたり、
 委嘱者である阪口夕山氏のリサイタルの副題であった~おもむくままに~をこの曲のタイトルにしました。
 おもむくままとは『ある場所に向かって行く』『ある状況に向かって行く』『物事や気分がある状態に移ってゆく』
 とあります。

 4楽章からなる曲で独奏尺八、独奏箏を軸に狂想曲のような自由さを持ち合わせた曲として完成されました。

 1章 おもむくままに(心の不安定を表現)
 2章 絃(いと)と竹(箏と尺八の調和を表現)
 3章 いざ和の国へ(人と人のつながりを表現)
 4章 想い馳せ(大地の恵みと人々の力を表現)

 −おもむくままに絃と竹  いざ和の国へ想い馳せー